戦乙女への憧憬2

 薄暗い部屋の中で、少年はじっと絵画を見つめ続けていた。
 ふいに扉があき、光が差し込んだ。けれど少年はそちらの方を向かず、いや、開いたことに気づきもせず、一心不乱に絵画を眺め続けていた。少年を探しにこの部屋へやってきた祖父は、少年の後ろに立ち、低い低い声で話しかけた。
「お前は、その絵が好きかい?」
 夢の世界に半身を浸したまま、振り向きもせずに少年は答えた。
「おじいちゃん、いくさおとめって、なぁに。」
「戦乙女。」
 祖父はしっかりとした発音で呟くと、絵画を見やった。
「白き翼を背負いて、天空を駆ける、ユーアリアの戦女神だよ。」
 少年は祖父の方を向いた。同じ絵画を絵画を眺める祖父の目には、自分とは違う瞳の輝きが、そう、恍惚と憧憬とがあった。少年は小さく、かすれた声で呟いた。
「いくさめがみ。」
「昔、ユーアリアは今みたいに平和ではなくて、日夜戦いを繰り広げていた。そのユーアリアに勝利をもたらしたもうたのが、この御方だよ。」
 今や祖父は少年よりも熱心に、絵画を、描かれている少女を眺めていた。
 気高き銀の髪の少女が、雄々しく剣を携え、美しき背中の羽を広げ、戦場に降り立つシーンが描かれていた。少女はあまりにも神々しく、薄暗く、絵画まで十分に光が届いていないこの部屋でも、少女の姿だけははっきりとみてとれることができた。
 不思議な絵だった。決してものすごくうまいわけでもない。けれど、描かれている少女から目が離せない。彼女の持つその引力に、そむくことができない。彼女は微笑みもせず、ただ、戦いのはじまる高揚に、顔を赤らめているだけだ。
 祖父の腰ほどもない少年は、祖父の声が今までにないものを含んでいることを感じ取り、不思議なものを見るように祖父を眺めた。しかし、それがなんというのか、少年にはわからなかった。
 恍惚と心酔と憧憬と誇りと――憂いと焦燥。
「アルフレッド。」
「……。」
 次に話し出した祖父は、無表情だった。恐ろしいと、本能的に少年は思った。
「アルフレッド。お前は、戦乙女が好きか。」
 この声だけが、生きていた。死の満ちた老人の、その声だけが。
 少年は奇妙に光る祖父の目を見たくなくて、逃げるように絵画へと目をそらした。
 白き翼を天空に捧げ、美しい白い手には、優美な剣が握られている。視線の先には敵陣が見えているのであろう、彼女の高揚と興奮とが伝わっていくる。
 けれども、彼女のその瞳の奥には、戦いのみを見ているようには思えなかった。戦いの高揚の中での、精神の静寂。彼女のその翡翠の如き瞳は、世界の深淵を映しこんでいた。
 あぁ、この少女は何を見据えているのだろう。少女は何を思っているのだろう。
 知りたい。戦乙女を。知りたい。彼女の全てを。
「――うん。」
 老人は息を吹き返した。祖父は笑った。
「そうか。なら教えてあげよう。私の知っている、彼女の全てを。」
 少年の胸は高鳴っていた。あまりの興奮にくらくらした。
 戦乙女。
 光るる翼で荒涼の大地に軽やかに降り立ち、気高きその瞳が一度敵を見据えれば、見ほれるうちに美しき剣戟の虜となる――
 後にこの絵の解説にこう書かれていることを知る。
 そう、このとき少年は、この解説さながら、戦乙女の虜になってしまったのだ。
 (僕はいつかきっと、戦乙女と共に戦うんだ。)
 小さな体を満たすように、強く強く願う。
 少年と祖父は、少年の妹が探しに来るまでずっと、絵画を眺め続けていた。



 祖父の話をしよう。
 フレッド・アウエル。荒野の戦いで戦乙女に加勢し、伝説となった男だ。
 アウエル家はさほど大きくも小さくもなく、領地からの信頼も厚い、よくある地方貴族の一つだ。先の大戦下でも雄々しき青竜を持ち、代々竜騎士として名を馳せてきた。
 祖父も自然と竜騎士となり、青竜を操り戦場を駆けた。気まじめな祖父は鍛錬をかかさず行い、竜騎士団の中でも力のある男だったそうだが、面倒な権力闘争からは遠ざかり、それなりの地位にもつけただろうものの、周りからの信頼のほかには、一切の役職にはつかなかった。そのため、周りからは堅物として知られていた。
 祖父は戦時下のユーアリア軍の体制に不満を持ち、とりわけ竜騎士が前線に出ず、戦乙女が一人で戦っていることが我慢ならなかったそうだ。
 戦争は長引き、数々の戦いの中で、竜と竜騎士たちが戦死していった。ユーアリア軍の要でもあり、しかし、かわりのつきにくい竜騎士たちは、前線へ出ることが少なくなり、自然と戦場からもっとも離れた、安全な宮城を守る役についていった。
 そのかわりに、単独でも一騎当千の雄、戦乙女は、竜騎士たちがまだ大勢残っていたときから、いつもたった一人だけで戦場をかけていた。王は味方の軍勢を誰も連れさせようとはしなかった。竜騎士や、いっかいの兵士でさえ彼女が率いることはなかった。彼女はたった一人で、敵国に打ち勝ち、ユーアリアを勝利へと導いていた。
 竜騎士の中では、戦乙女一人が武功を得ていることに不満をもつものが多かったようだが、祖父は違った。祖父は、そう、恋にも似たような感情を彼女に抱いていたようだ。なぜ、彼女はたった一人で激烈な戦場をかけなければならないのだろう? 我ら竜騎士をのみならず、他の武人をも率いず、たった独りだけなのに、その戦場で、必ず勝利を収めてくる彼女の力は、いったい、どのようなものなのだろう?
 祖父が戦乙女を城で見る度、その想いは募っていったようだ。

 ――気高きその横顔は、それはもう、美しかったのだよ。
 ――おばあちゃんよりも?
 ――さぁ、それは言わないでおこう……。

 祖父が戦時下の戦乙女の話をするときは、少年時代に戻ったような顔をした。俺はそんな祖父の顔を見るのが好きだった。
 荒野の戦いが勃発したとき、祖父は竜騎士の誓いを破り、戦乙女と戦った。祖父はこの戦いの重要性を十分に理解していた。そして、その規模も、これまでの戦乙女が戦った戦いの中で、最も大きなものになるだろうと誰もが噂していた。
 祖父は竜騎士であることと、自分の信念にのっとって戦乙女と戦うこととで、葛藤したようだ。彼は騎士となるときに、貴族ではなくなっていたから、領地のことは考えなくてすんでいた。けれど、その後の家のこと、領地の臣民のこと、竜騎士団のこと。噂されるであろう数々のことを考え、悩み、葛藤し続けたようだ。
 けれども、祖父は、自らの信念に沿って、戦乙女と戦うことを選んだ。彼女が戦場へ旅立ったと聞き、いてもたってもいられず、竜にまたがり、腹をけり、天空へと駆け出した。その時の空は、とてもとても広く感じたそうだ。あれが自由なんだと、そのときはじめて実感したそうだ。
 そして、祖父は戦乙女の待つカサレル荒野へと向かった。夢にまで見た戦乙女と肩を並べ、戦ったのだ。
 竜青竜を率いて空中戦を征し、戦乙女を手助けしたのだ――とはよく祖父が話していたことだ。そのときことを語るの祖父の目はいつも、本当にきらきらと輝いていた。見よ、これが神話の子、戦乙女なるぞ!
 彼らは大国一の将軍を倒し、カサレル荒野での戦いに勝利した。
 荒野の戦いの後、戦乙女は忽然と姿を消した。彼女はユーアリアの地から、竜騎士団へと引導を渡したかように、消え去ってしまったのだ。
 祖父は竜騎士を退団した。そう、退団したのだ。除籍でも、抹消でもなく、正式に退団した。祖父は誓いを破ったことも、戦乙女と戦ったことも、とても不自然なことに、なぜだか責め立てられなかったのだ。なぜだか周りの竜騎士たちは祖父を責めなかった。それはきっと、彼らもみな、本当は団の行っていることがおかしいと思っていたからだろう。
 そのとき、祖父に未練はなかったようだ。潔く、きっぱりと、これまでの人生を捧げていた、ユーアリア竜騎士団を去り、共に月日を過ごした青竜は家でのんびりと余生を過ごし、祖父は戦乙女研究に心血を注いだ。
 祖父の戦乙女研究は、常軌を逸していたようだ。昼夜を問わず文献を漁り、伝説を知ると言うものへの聞き込みにユーアリア各地へ出かけ、丹念に調べ上げた。戦乙女については比肩するものなしとまでうたわれたほどだ。
 彼女の容姿、装備、出生、伝説、逸話に至るまで、祖父は研究していった。しかし、荒野の戦いの後、ユーアリアが北の大地を平定しても、彼女は姿を現さなかった。彼女こそがユーアリア随一の武人であり、武功を得るものでもあったのに関わらずだ。彼女が現れないこそ、祖父は熱心だったのかもしれない。そう、彼女こそはユーアリアの神話の子なのだ。
 祖父は戦乙女だけではなく、魔術研究にものめり込んでいった。戦乙女を調べれば調べるほど、魔術についての記述が増えていった。彼女の美しき翼や、大剣は魔術なしでは表現できないものであったからだ。
 戦乙女の美しき技は、調べれば調べるほど未知のものだった。彼女の武器や翼は、透明に輝くものであった。しかしそれはガラスではない。彼女はなんと、何もないところから光り輝く翼や大剣を生み出し、それらは驚異的な戦闘力を誇ったのである。
 ユーアリアの魔法で、人は空を飛ぶことはできなかった。人が大空を駆けるには、竜に騎乗するほかなかった。彼女の生み出すあの光り輝く翼は何なのだろう? 鳥とも違う、奇怪で、けれども煌めく、美しき翼。同じ素材であろう、彼女のか細い体躯とは釣り合いのとれないほど大きな剣。彼女はそれを軽々と扱い、刃こぼれせず、煌めいていたという。
 万能の力など神以外にあるはずもない。そう、まさしく彼女の魔法は神の如き力であったのだ。
 祖父は魔術の才能はさっぱりなかった。魔術自体に興味を持つことはなく、魔術は戦乙女のために調べるもので、それ以下でもそれ以上でもなかったようだ。
 ただただ無心に戦乙女を調べ上げ、祖父は研究成果を一冊の本に纏め上げた。それが『戦乙女の真実』だ。
 『戦乙女の真実』は、祖父が書いた最初で最後の本だった。祖父は平易な文でこれまで調べ上げた戦乙女について書き、ユーアリアの国民は熱狂的にこれを支持した。戦争中の英雄、戦乙女についての事細かな内容に人々は酔いしれた。
 戦乙女などいないと言う人もいたが、しかし、誰もがみな心の隅ではいると信じていた。その中に、戦乙女とともに戦ったというものが書いた本が現れたのだ。大ベストセラーとなったのも無理はない。
 この本は長い間国中の本屋の店先をにぎわせた。次第に熱は収まっていったが、今でも必ずと言っていいほど、図書館や本屋にある一冊となった。
 父は祖父のことをあまり好いていなかった。祖父は幼い頃から竜騎士となるため訓練し、思考も根っからの武人であった。父は祖父とは違い、武力を嫌い、内向的で、学問を修めた。権力と無縁だった祖父とは違い、父は権力闘争に全力を尽くした。アウエル家を大きくすることは諦め、中堅の位置に固定することに労力を費やした。ただ、アウエル家はすでに゛戦乙女狂い゛のレッテルをはられていたので、戦乙女から逃れようとした父の苦労は倍になったようだ。
 父の苦労は報われ、アウエル家は安泰となった。けれど、皮肉なことに家を安定させたのは祖父の本の功績だったが。
 息子の俺が戦乙女狂いを引き継ごうとしているのは避けたかったようだが、見事に失敗してしまう。幼い頃から俺は祖父のそばを離れず、戦乙女の話を嬉々として聞いていた。竜騎士になると言ったときにはもう既に諦めていたようで、何も言いはしなかったが。
 祖父が本を書き上げてからは、これまでの生気や覇気が無くなり、軽い痴呆症にかかってしまった。けれど、丹念に調べ上げた戦乙女についての知識は消え去ることはなく、むしろいらない記憶が抜け落ち、より鮮明になったようだ。安楽椅子に座る祖父に、戦乙女の話をして欲しいと乞う度に、祖父は生き生きと、まるで昨日のことのように話し出した。俺はそんな話を飽きもせず聞き続けていた。
 祖父は俺が十二歳の時に亡くなった。祖父の葬儀はしめやかに行われ、その頃、俺は竜騎士になる決心をした。“戦乙女狂い”を引き継ぐことにしたのだ。
 彼の人生は満ち足りたものだっただろう。竜騎士として激動の時代を生き、戦乙女との運命的な出会い。彼女とであったことで祖父の人生の歯車は回りだし、その想いは孫にまで引き継がれることとなった。彼の想いは『戦乙女の真実』に事細かに書かれている。そして、本を読んだ全ての人に、引き継がれていくだろう。
 そして、今俺は、祖父が探し求めた彼女の横にいる。
 祖父の想いと、自らの思いを持って、ここにいるのだ。


おわり


僕たちは君の夢を見た
天駆ける、気高き君の夢を――

11・0710





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