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少年は目覚めた。 薄ぼんやりとした視界、朝日が射す窓辺のベット。 「……フィル……?」 思わずつぶやく。 しかしそれは空に霧散した。 まどろみの世界。 迫り来る夢、現実を追い立てようとする夢。現実と夢との境目が朝日に溶ける。 「……ヴ、ルーヴ。」 少し厳しい声。ベットの横、眼鏡をかけた少年。 「フィル……?」 「違う。俺は……フィルじゃない。」 目をこする。悲しげな相手の顔。 「おはよう。ご飯は下だから。」 それだけをいい残し、少年は去る。 起き上がり、窓の外を見る。光射す町並み、遠くに見える教会。 ありふれた街。 立ち上がり、服を整える。左肩には、なにもつけない。 階下に降りる。 「おはよう。フィル……。」 「……俺はフィルじゃない。おはよう。そこに座れ。」 黙って従う。 料理が出され、黙々と食べる。バターロール、ハムエッグ。 食べ終わると、ぼんやり。 相手はせわしなく動き食器を片づける。カチャカチャと食器がたてる音が空間を支配する。 食器を棚に直し終わる。 「ルーヴ、俺1日調査してるから。なんかあったら探しに来い。昼はそこに置いてあるから。」 言い終わるとすぐさま家を出た音がする。 あまりにもぼんやりとした世界。 すべての形が曖昧。まるで世界の意味を無くしたかのように。 動く気には、なれない。 どこもかしこも瓦礫だらけで、全くなにも調査する気にはならない。 瓦礫を蹴ると現れるのも瓦礫。瓦礫。瓦礫。瓦礫。 あの美しく活気のあった街はどこに行ってしまったのだろうか。 「……。」 ……こうしてしまったのが、ルーヴだというのか。 「……考えたって仕方ない。」 かつては並木道だった道を行き、教会へ。 教会は半壊しつつもまだしっかりと形を残していた。しかし2階部分の大半は破壊され、礼拝堂に日が射していた。 教壇には、一人の少年。 「……フィル。」 遠目からみただけでは――もちろん近くからでも――、あの少年がかつての人のよい少年牧師だと言い切れる人はいないだろう。 あの少年は――壊れてしまったのだ。 瓦礫を蹴り飛ばし教会に入る。最後部の長椅子に座り、高らかに叫ばれている説教を聞く。 ――そう神は、神なんかではありません。 僕らが崇めていたものは決して特権を持つべきものではなく、むしろ、蔑むものだったのです。 神というのは、神という名を過大評価され与えられた、中身なんて全くさっぱりない、ただの空虚なものなのです。 僕らはそれを何故崇めていたのでしょう? 僕らはそれを何故奉っていてのでしょう? そう、神とは破壊と破戒からの後悔を呼ぶだけのものなのです。―― 聞くもののない説教は、むなしく教会に響く。 あぁ、かつての尊き聖職者は、今では悲しき狂信者でしかないのか。それほどまでに破戒は進んでいるのか。 説教が続くほどに少年は壊れていくのだ。しかしそれをどうして止めようか。 自分があまりにも部外者であることを痛切に感じ、涙が頬を伝った。 ――― ――あの日、あの時、あの瞬間。決断を下した。 そう言ってしまえば簡単なことだということに、自嘲が漏れる。 あの決断が、すべてを生んでしまったのだ。自分勝手な、愚かしい決断が。 ぼんやりとした世界が、じわりと、にじんだ。 あの日は、曇り空だった。 最新鋭の鉄道が街にひかれ、その完成記念の式典へ野次馬のように俺とイッキとネスカは向かった。 「……せんせ、鉄道ってすごいんスよね?」 「なに言ってるの! すごくなきゃ式典なんかしないでしょ! すごいんだから見に来たのよ!」 興奮気味な二人の声が、頭に再生される。 「最新鋭でも旧型でも、式典とありゃ向かうのが野次馬ってもんだ。」 知った顔で説教をする、自分。 「これでこの街がもっといろんな街とつながって、それからどんどん発展したらいいのにね。そしたらこの街ももっと有名になるし!」 背伸びしようと大人たちが言っていたことをそのまま口にするネスカ。 「それでこの街がどーんっとでっかくなったらいいっス!」 子供さながら、無邪気に喜ぶイッキ。 にこにことうれしそうに話す二人に、自分はどう答えたか。 「まぁ……そうなったらいいわな。」 無関心だった。 あの頃も……もちろん今も、自分はなにもわかってはいなかった。わかっているふりをして、大人ぶって。むしろ、大人の言ったことをそっくりそのまま真似ているような人であった方がよかったのだ。 あぁなんて、愚かで馬鹿馬鹿しい自分だったんだろうか。 そもそも、なにがしたかったのだろう。自分のことなのに、……もうわからない。 式典は順調に進み、鉄道が街にお目見えした。 イッキとネスカの二人の子供はもちろん、自分もその厳ついフォルムに興奮と恍惚に似た感動を得た。 新しき異邦人が街に降り立つと、どこからか拍手が湧き上がった。 式典のすべての内容が終わると、人々は三々五々散らばっていった。 二人は家に帰り、その興奮を家族に伝えたのだろうか。自分はフィルの待つ、教会へ向かった。 重い重い扉を押し開けると、礼拝堂のど真ん中、三方からのステンドグラスの光がちょうど交差する場所にフィルはたち、祈りを捧げていた。 あぁ、いつもなにを祈っていたのだろうか。今となってもわからないことだ。 友達の神々しい姿に恍惚とした表情をむけてしまう。自分をそうさせてしまうフィルが好きだった。 フィルが現世に光臨した。 ゆっくりとこちらに振り向き、やわらかな笑顔を浮かべ、言うのだ。 「あぁ……ルーヴ、鉄道はどうだった?」 この人こそが神の御使いなんだ。そう思うと、胸がチクリとした。 フィルと自分との出会いは、少し変わっていた。 フィルと出会った頃――5歳だとかそれくらい――にはティニとはもう毎日街中走り回っていたものだ。 ――フィルは、孤児だった。 どこかの国で戦乱があり、父親はフィルを教会に預けた。そして、巡り巡ってこの街の教会に来た。その小さな小さな肩に、形見だという革の防具をつけて。 その頃自分たちはめったに教会には近づかなかった。立派な教会が街の中心にあったが、別段信心深い人が多かったというわけではない。むしろその威風堂々とした建物を子供たちは避けていたといってもいい。 その日、何故だか自分は教会の前に来ていた。 そして、導かれるようにその扉を開けた。 同じ年頃の少年が、一人祈りを捧げていた。 その小さな小さな背中になにをみたのか、今となってはわからないが、あのときはそう――教会の意味を、わかった気がした。 なにもできずただ重たい扉の隙間にいる自分に、神は緩くほほえんだ。 「こんにちは……。僕はフィル。キミの、名前は?」 ――― フィルは説教をやめない。まるで自らが壊れるのを全身全霊をかけて応援しているかのようだ。 「フィル……。」 俺の声は、誰にも届かない。 ルーヴもフィルも、自らを壊し蝕むのをよしとしていた。 自分の親友は、それを選んだのだ。 自分ができることなんてなにもない、ないのだ。 ないのだ。 せめて自分だけは正気でいよう。それだけのことが重くのしかかっていた。 2へ続く。 |
08・1122 |